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元横綱・曙さん亡くなる… 各界からの追悼メッセージまとめ

大相撲の第64代横綱で、プロレスラーの曙太郎さんが心不全のため54歳の若さで亡くなりました。曙さんはリハビリのため入院しており、容態が急変するまで家族と会話ができる状態にあったといいます。曙さんの死去は、彼の築き上げた数多くの実績と共に、多くの人々に大きな衝撃を与えました。

この記事では、各界関係者から寄せられたお悔やみのメッセージ、SNSでの投稿を紹介します。

プロレスラー 永田裕志
新日本プロレス
「横綱とはプロレス入りされてお会いしてからとても仲良くさせて頂きました」
「私の自主興行東金大会のメインでタッグを組ませて頂いたのはとても素晴らしい思い出です。ご冥福をお祈りします」

プロレスラー、格闘家 初代タイガーマスク 佐山聡
曙さんの格闘技時代に打撃のコーチを務め、プロレス時代にシングルマッチで対戦
「大きくて大変優しい人でした」
「非常に残念な思いです」

元プロレスラー 武藤敬司
曙さんがプロレス入りしてからレスラーとしての手ほどきをした
「彼がプロレスラーとして最初の試合がグレート・ムタ。その後、俺が『武藤部屋』を作ってそこでレスラーとしてのなんたるかを彼は学んだんだけど、米国育ちだからプロレスをわかっていた。日本人以上にわかっていたよ」
「あの巨体で日本のレスラーにはない感性があった」
「酒の飲み方、飯の食い方が横綱まで行った人だから豪快だった。昭和の雰囲気を感じさせる人でした」
「64代の横綱だから64という数字にこだわりをもっていた」
「闘病生活が長かったら今はお疲れさまでしたと言葉を送ります」
(SNSで)「長い闘病生活の末に、曙選手がお亡くなりになりました。大相撲からプロレス界へ、真摯に向き合う姿勢にプロレスLOVEを感じた人でした」
「俺の引退前に今一度闘いたかった思いもありましたが叶いませんでした。横綱、ゆっくりと休んでください。心よりご冥福をお祈り致します」

お笑いコンビ「しずる」村上純
「曙太郎というお方は本当に優しくてユーモアがあって、体以上に器も心もデッカい人で」
「角界のことはよくわかりませんが、“太郎ちゃん”なんて呼ばせてくれる横綱なんてなかなかいないのではないでしょうか」
「僕にとって、ずっと天下の大横綱です」

元横綱・若乃花 花田虎上
「ライバルであり友であり苦楽を共にした仲間が旅立ちました」
「現在曙の訃報に際しコメントを求められていますが お話できるような状態ではありませんので申し訳ありませんが文章にします」
「突然のことに送り出す言葉が全く見つかりません お互い協会から離れて頑張ってきたけど 離れていてもいつも心にいました 切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く 言葉で言い表せないものがあります」
「また会いたい気持ちが強く 歳を取ったらハワイの木の下で同期生皆んなで会おうと曙と話していた その約束も果たせずただただ寂しいです」
「ゆっくり待ってて ハワイの木の下でまた会おうね 会いに行くね」

元小結・高見盛 東関親方
「相撲の怖さ、支度部屋でのあのヒリつく緊張、横綱についていることの緊張感。強くて怖い横綱でしたが、土俵を離れたらやさしい方でした」
「(新十両で負け越した2000年初場所)もっと気持ちを大きく持っていけよと言われたのが、大きかったですね。自分は小心者で、ビビリ症で、人見知りがある。そんな自分でも稽古をつけてもらって、自信をつけてもらった。ぶつかり稽古は、自分がぶつかって押したとうよりは、逆にぶっとばされた感じでした」
「(最後に会ったのは)入院中だったのか、寝たきりの状態でいらして、車いすで焼香してくれました」
「東関部屋時代の人が亡くなっていくのはつらい。何を言っても、言葉にならないのが今の気持ちです」

プロモーター、プロデューサー 谷川貞治氏
曙さんをK―1へスカウトした
「54歳かぁ。2003年の大晦日(みそか)、フジのPRIDE、日テレ猪木ボンバイエと地上波3局で放送する中、TBSでK―1やる私が起死回生で組んだカードが曙vsボブ・サップだった。史上初の紅白越えの43パーセントの快挙!思い出深い人だったので、悲しみもひとしおです」

プロレスラー、政治家 大仁田厚
曙さんと「ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘルメガトン電流爆破マッチ」など数々のデスマッチで激闘を展開
「今、え~っ!と、びっくりしたところです」
「戦った時は、横綱が電流爆破のリングに入ってくれるという驚きと感動がありました。爆破にも正面から突っ込んでいって、さすが横綱だと思いました」
「僕の火炎放射も微動だにせずに受け止めた。横綱って、人の体当たりを常に胸で受け止めなきゃいけない立場じゃないですか? 試合後の『電流爆破は面白かった』というコメントも含めて、僕もうれしくなったし、さすが横綱だと実感しました」
「個人的な付き合いはなかったけど、リング上で人間としての器の大きさを感じて、尊敬の念を持てた人だった。心からご冥福をお祈りします」

アナウンサー 藤井康生
NHK時代、数多くの熱戦を実況
「名古屋場所の時、しゃぶしゃぶの食べ放題に誘ったことがあります。付け人やNHKのスタッフも含めて5人くらいいましたが、結構食べました。お店に頭を下げて『申し訳ありません』と言ったのですが、お店側も喜んでくれました。夜、彼と歩いていると、みんなが見上げていきました。握手を求められれば、気さくに応じる横綱でした」
「人間的には、とてもやさしい心の横綱でした。お亡くなりになり、残念です」

リングアナウンサー 田中ケロ氏
「曙さんが逝去。控室でシャワー浴びた後、バスタオルが、腰回りが長すぎて巻けなく、腹の肉で止め『どうこれ?』と見せるお茶目な面もあった曙さんを思いだします。ご冥福をお祈りいたします」

放送プロデューサー デーブ・スペクター氏
「曙さんを本名のチャドと呼ばせていただきました」
「ご家族も素敵でいつもハワイの太陽より明るかった」
「断髪式で丁髷まで切ろうと迷惑もかけました!ギャグを言い合ったり横綱でもいつもチャドでした」
「ハワイ語で 『Na waimaka o ka lani』(天国の涙)ご冥福をお祈りします」

プロレスラー 浜亮太
大相撲時代の後輩でプロレス時代に全日本のアジアタッグを曙さんと奪取した
「あんなに優しい方はいらっしゃらなかった。寂しいです」
「横綱なのにえらぶることなく困った人がいると放っておけない優しい方でした」
「タッグパートナーとして心強い方で僕をレスラーとして成長させてくれました」
「あと1回お会いしたかったですね…楽しい思い出しかないんで…寂しいです」

弁護士 紀藤正樹
「最強期の曙は本当に強かった。貴乃花がまったく敵わなかった。その体躯から見ても歴代最強の横綱。とても残念」

コラムニスト 能町みね子氏
大の好角家として知られる
「曙さん闘病長かった……すばらしい横綱だったし親方として残ってほしかったよ、、本人も残りたかったと思うし、、」

駐日米大使 ラーム・エマニュエル氏
「角界の巨星、誇り高きハワイアン、そして日米のかけ橋であった」
「深い悲しみに暮れています」
「氏は1993年に史上初の外国出身力士として最高位である横綱となり、他の外国人力士が大相撲で成功するための扉を開きました」
「日本で過ごした35年の間に、スポーツを通じて皆をひとつにすることで、第二の故郷となった日本と米国の文化的な結びつきを強化してくださいました。曙太郎氏のご家族、ご友人、そして世界中の相撲ファンの皆さまに心よりお悔やみ申し上げます」

元・空手家 武蔵
K-1で曙さんと対戦
「ショックです」
「サップにはKO負けしましたけど横綱という超大物。どれぐらいのポテンシャルを持っているか分からなかったので僕も恐怖を感じながら、でもK―1で戦っている先輩として勝たないとイカンというプレッシャーはありました」
「たくさんのK―1戦士と戦っていましたけどジャブだけでコーナーに吹っ飛ばされるパワーは曙さんだけでした。相撲で鍛えた押しの強さは今までの格闘家にはなかった威圧感でした。体重差は150キロ。あの圧力を体感したのは、後の僕の格闘技人生でいい経験になりました」
(曙さんが武蔵をレフェリーの制止を振り切り攻撃する反則)「その後は横綱らしく控室まで来ていただいて謝罪をしてくれましたので和解はしました」
「ご飯を食べにいったりして仲良くさせていただきました。とても気さくな方で横綱の固いイメージよりも冗談を交えるユニークな方でした。接しやすかったです」
「今、会いたかったという思いが強くなっています」
「僕にとって拳を交えた人間は、戦友。曙さんは、僕の中でずっと戦友として心の中で生き続けます」

タレント なべやかん
「曙さんとパチンコ営業に何度も行ったな。」
「『やかんが横にいると肘乗せになって便利なんだよ』と重宝された」
「膝が悪かったので、俺の頭が役に立っていたのだ。また一緒にお仕事したかったな。」
「曙さんのご冥福をお祈りします。」

RIZIN CEO 榊原信行
曙さんが2015年のRIZIN旗揚げ大会に出場
「日本の格闘技界に大きな貢献してくれた曙さんに、旗揚げ戦に出てもらったことを誇りに思っております。この場を借りて心から御冥福をお祈りいたします」
「旗揚げの時に、海のものとも山のものともわからないRIZINに 気持ちよく出てくださり、“大みそかといえば格闘技”というものを示してくださった。格闘技に対して愛があった方だった」
「ハッスルでもすごくお世話になって、その当時の記憶を思い出しちゃいました。本当におおらかでオープンマインドで受け入れてくださる方で、歴史のある相撲の世界で横綱までいきながら新しいチャレンジでボブ・サップと戦うという決断ができた。偉そうにすることもなく、僕も元気も勇気ももらって一緒に楽しく仕事ができなと思っています」

元格闘家・参議院議員 須藤元気
「曙さんとは練習や大会を何度もご一緒しました。実現はしませんでしたが総合格闘技の試合のオファーをK1からいただいたこともありました」
「思い出が蘇ります。ありがとう曙さん。ご冥福をお祈りいたします」

元・関脇 貴闘力忠茂氏
「曙キラー」として知られた
「相手に力を出させない当たり方を考えた。相手の肘を伸ばさせない。伸びても上に逃がすとかね。立ち合いはやっぱり、一番気を使いましたよ」
「最後にやろうと話をしていた。あそこでにらみ合って、俺が場外乱闘するパワーがないから、にらみ合って終わりだった。北の湖理事長(当時)には『引退相撲と同じ金額で国技館を借りてもいいですか』と聞いたら、『ちゃんと金はもらうぞ』って言われた(笑い)」
「曙のことは好きだった。亡くなって残念、ご冥福をお祈りします」

大関・琴ノ若
「びっくりしました。まさか…ですよね」
「大きいイメージしかない。父より大きい人はなかなかいなかったので」
「さすがに大きいので仕立て直して、曙さんが使っていた物を着させてもらっています」
「もう一回ちゃんとお話して、この姿を見せたかったです。惜しい人を亡くしました…」

元大阪市長、元大阪府知事、弁護士 橋下徹氏
「最近(近況を)聞かないので、どうされてるのかなと思っていたんですよ。今、大谷(翔平)さん、アメリカですごいなって、みんな言ってますけど、曙さんも、ハワイから来て、日本の中で文化に溶け込みながら、頂点まで行った。本当にすごいことだったんでしょうね」

お笑いコンビ・メッセンジャー 黒田有
「僕たちは千代の富士の時代から見ていて、そのあと、若貴時代がきて…。曙さんとはロケしたことありまして」
「若貴ブームがあって、曙さんは『自分はちょっと…』とヒール的というか、言っておられた」
「(橋下氏を含め)僕ら3人は同い年で、曙さんは、外国からこられて、日本語も覚えて、そこからトップへ上り詰めた。なかなかできなかったことですよ」

お笑い芸人 レイザーラモンRG
「曙さんとはハッスルで何度も闘わせていただきました」
「張り手で吹っ飛ばされたり場外にぶん投げられたりエルボーであばらが折れたこともありましたが“曙さんは僕を信頼して思いっきりエルボーを落としてくれたんだ!”と逆にうれしかったです」
「曙さんとの試合は僕の宝物です。安らかに」

タレント 山田邦子
「曙太郎が亡くなってしまった 謹んでご冥福をお祈りいたします」
「2017年  九州のプロレス会場で 試合後に何か?心臓が変だ、と 倒れ、救急搬送 一回心臓も止まったから やや記憶が飛んで 足も動かなくなってしまったので 大きいし、東京に 寝たまま移動させるのはとても 大変だったらしい」
「私がお見舞いに行かれたのは 2018年もずいぶん経ってからで 受け入れられる大きなベッドや リハビリ機器のある武蔵村山の病院だった」
 「その日はとても機嫌が良く 記憶障害なんて全く無く 倒れた時のことや 昔の話や リハビリをがんばっていることなど 笑ったり、たくさん話した」
「機器を装着して歩行のリハビリもがんばっていたが、思うような回復はなかなか難しいようだった」
「横綱の時、強くてカッコ良かった 披露宴にも来てくれた プロレスラーになってからももの凄い圧で、怪物のように強かった」
「素顔は思いやりのある、明るくて優しい青年だった」
「ハワイに帰りたい、と言っていた 魂はもうハワイの海に行ったかな 悲しくて寂しい。たくさんがんばったね」
「またね チャド」

「氣志團」ボーカル 綾小路翔
ファンタのCMで結成したバンド「FANTA」で曙さんがドラム、綾小路がベースを担当
「曙さんとはかつてのバンド仲間でした」
「プライベートでお会いしたのは一度だけでしたが、朝青龍さんと男3人で甕雫を13個飲み干すという、伝説の夜を思い出しました」
「あの日の出来事は自分にとっての数少ない武勇伝となっております。さらば偉大なる横綱。いつかまた一緒に酒を酌み交わす日まで。合掌」

元・横綱 朝青龍
「お悔やみ申し上げます。第64代横綱曙様 言葉になりません 母国モンゴルにもう一緒させて最高の思い出です。横綱がまた引退する前に語ったことがあります。曙さんに私から横綱私早く幕の内上がって横綱土俵入りの太刀持ちやりたいです。また引退しないで下さいと言葉が忘れない。残念ながら幕内上がる前場所で引退することになりました。沢山のenjoy timeごっちゃんでした。ドルジー 男のやきもち女よりきついぞー 言葉忘れません またALOHA青い海で会いましょう横綱 in HAWAI TEARS IN HEAVEN 横綱から覚えたSONGです」

元・横綱 貴乃花光司
「哀悼の意を表します。数々の闘いの思い出がありますが、相撲教習所に半年間通った頃の稽古の思い出が出てきます。土俵は3つあり 130名ほどで A土俵 B、Cと分かれます 私たちは、A土俵において猛々しく取組に励みました」
「ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています」
「百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに」

官房長官 林芳正
「お悔やみを心より申し上げます」
「曙さんは外国出身の力士として初めての横綱になられました」
「貴乃花、若乃花らと常に熱戦を繰り広げ、大相撲人気をけん引するなど角界で大いに活躍をされました」

元・関脇 琴錦 朝日山親方
「仲良くしていた人たちが亡くなるのは辛いですよ」
「初めて会ったのはたしか私が新十両の頃。(曙の師匠の)東関さんはよく佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来ていたんです。彼が入門した直後から、よく一緒に稽古したよね」
(曙さんが番付が上がるにつれて)「突っ張りが強さを増してね。240キロ近くの体重から繰り出す伸びのある突っ張りは脅威だったよ」
「若貴時代の立役者だよ。彼がいなかったら、ここまで大きな盛り上がりにはならなかったんじゃないかな」

元・横綱 武蔵丸 武蔵川親方
「ビックリした。10年くらい、全然会っていなかったので」
「怖いよ。やっぱりデカくて、手足も長くて」
「毎場所どうやって崩していくかを考えていた。中に入らないと勝てないよ」
「離されないように、負けないように。そういう気持ちでやっていた」
「あの頃はあんまりしゃべらないよ。食事にも行かないし、距離を置いていた」
「倒しに行くんだという気持ちだった」
「さようなら Chad」
「今はショックな気持ちが大きいです。心からご冥福をお祈りいたします。Thank you Bradda.(ありがとう、兄弟)」

元・プロレスラー 小橋建太氏
「国技といわれ1500年以上続く相撲の歴史の中で初の外国人横綱になった曙さん。一度だけタッグマッチで試合をした事がある。圧倒的な身体、パワーだった」

プロレスラー 鷹木信悟
「横綱、長い闘病生活お疲れ様でした 曙さんが『鷹木さん』と呼ぶので『横綱、さん付けは辞めて下さい』と言うと『プロレス界では先輩です』と謙虚な方でした 横綱と試合出来た事も良き思い出です」

プロレスラー 秋山準
「横綱には全日本の時に大変お世話になりました。残念です」

プロレスラー 丸藤正道
「大きくて優しい方でした」

プロレスラー 歳三(土方隆司)
「横綱…もう1度会いたかったですよ…『ヒジカタさん、俺のトモダチになってくださいよ!』って。めちゃくちゃ嬉しかったです。俺がそちらに行ったら…またメシに行きましょう。稽古もプロレスもしましょう。goodbye my friend」

元・幕内 小城乃 出羽海親方
「足も腕も長く、ぽんっと突っ張られ、いっぺんに体を持っていかれた。全然相撲にならなかった」
「自分より年下の横綱だったが、気遣いをしてくれる優しい力士だった」

愛知県知事 大村秀章
「若乃花や貴乃花とともに一世を風靡(ふうび)した平成の大横綱だった。亡くなるには早い。残念だ」

グラビアアイドル インリン・オブ・ジョイトイ
曙さんがグレート・ムタとインリンの間に生まれた「モンスター・ボノ」としてハッスルに参戦
「元横綱 曙太郎さんの突然の訃報に接し、驚きとともに悲しみの気持ちでいっぱいです」
「いつもは無口だけど、時折見せる笑顔に優しいお人柄がにじんでいました。曙さんの大きな身体と心に支えられ、いつも安心した気持ちでリングに立てたことに改めて感謝するとともに、同じプロレスのリングに立たせていただいたことを誇りに思います」
「もう一度、生前のように呼ばせてください。『ありがとうございます。ボノちゃん』」
「謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」

元タレント 田代まさし氏
「春は曙、のはずなのに… あのハワイ出身の横綱、曙さんが54歳の若さで天国へ召されました」
「初めて優勝した、若、貴との三巴優勝決定戦は今でも名勝負として語り継がれています。角界から引退した後もプロレスラーとして活躍していた曙さん! 曙さんがやっていたステーキハウスにもお邪魔したことを覚えています」

元・横綱 北勝海 日本相撲協会 八角理事長
「何度も転びながら、もう一丁、もう一丁と挑んできた。とても根性があった」

元・大関 魁皇 浅香山親方
「人に対しての優しさがあり、笑顔が印象的だった」

プロレスラー 田中将斗
「横綱になった方が僕の事を田中さんとさん付け。 僕は何度もやめてくださいと言ったのに『プロレス界では田中さんが先輩だから』とずっとそのまんま 本当に素晴らしい人だった プロレスもZERO1の事も大好きでいてくれて、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします」

元・関脇 若の里 西岩親方
(初顔合わせは)「見たことのない大きさの人だったので、正直、怖かった」
「手も大きくて、すごい力で土俵下まで吹っ飛ばされた」
「真正面から攻めたのでは勝てないと思った」
「曙さんが引退されてからは、会うと必ず冗談で『オレに最後に勝ったやつだ』と言われました。それだけ覚えてもらえていたのは、うれしかったし、光栄ですよ」
「あの白星が、その後の自信になった」
「あれだけ強かった方が亡くなるなんて…。信じられない。残念です」

プロレスラー 小島聡
「当時の社長だった武藤さんが『横綱のネームバリューは本当にスゲーからよー!』と常々言っていたのを覚えていて、全国どこへ行っても、曙さんの周りには黒山の人だかりができていました。そりゃそうです。国技・大相撲の横綱(外国人では初)まで張り、身体も大きく、目立ちまくり。逆に、知らない人がいる訳ないというレベルでした」
「ビールのジョッキを3秒くらいで飲み干して笑ってる姿は、本当にザ・プロレスラーという感じでした」
「本当に頭が良く、自分の身体の見せ方(魅せ方)を熟知していて、どうすればお客さんが喜ぶかを本能的に知ってるような方」
「シングルマッチを一度もした事がなくて、、、ぜひ経験してみたかったです」

元・関脇 琴ノ若 佐渡ケ嶽親方
「とにかく腕が伸びてくる。もろ手できたところをはね上げて、下手出し投げで大きな体をゴロンと転がしたのは、よく覚えている」
「まわしを取っても戦車のような圧力で出てくる。私も体は大きい方ですが、組んでも上から覆いかぶさってくる感じ。とにかく強かった」
「先代師匠(元横綱琴桜)がタクシー代として帰り際に渡した1万円を、横綱になってもお守りとして持って感謝し続けてくれたんですよね。それを先代も本当に喜んでいて。恩を忘れない律義な人でした」
「すごい面々でした。会場も盛り上がっていたし、華やかでしたよね。そんな時代に、一緒に相撲を取ることができたのはよかったです」

元・幕内 朝乃若 若松親方
「一門の横綱だったのでいろいろなことでお世話になりました」
「曙さんや小錦さんといったそうそうたるメンバーと一緒に鍋を囲めた。(同じ一門に)横綱がいるということはいろいろなところでプラスだった」
「(横綱土俵入りで)太刀持ちや露払いをさせてもらえたのが良い思い出。海外(公演)でも露払いをさせてもらって、何かの教科書に載った」

元・関脇 旭天鵬 大島親方
「大きくてすごい迫力があってめっちゃ怖かった。目を見れなくて、殺されると思った」
「でも私生活ではめちゃくちゃ優しかった」
「よく声を掛けてもらえました」

幕内呼出 大吉
「思い出はたくさんありすぎて…」
「入った時からずっと食事とか飲みとか一緒に行っていた。横綱になっても気を使ってもらって優しかった」
「早過ぎるよね。潮丸さん(41歳で死去)もそうですけど…寂しいですね」

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